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南 九 州 の 旅 (その5)肥薩線 真幸駅

その1
九州新幹線
その2
人吉駅
その3
吉松駅
その4
大畑駅
その5
真幸駅
その6
嘉例川駅
その7
鹿児島市電
その8
曽木の滝

大畑駅周辺は以外に綺麗に整備されていた。駅前で男性が枯れ草などを燃やしていたので挨拶をすると、JRの職員ではなくボランティアでこの駅を整備しているとのこと。かれこれ3年位整備を続けているとのこと。男性と話をしていると列車進入のブザーが鳴ったのでホームに行く。今度は観光列車「いさぶろう1号」で吉松駅に戻る。ちなみに吉松行きが「いさぶろう」。人吉行きが「しんぺい号」となる。


大畑駅を過ぎてループ線に入ると直ぐに慰霊碑があった。動輪は8620のものらしい。車内のアナウンスによると昭和20年8月22日多くの復員軍人を乗せた列車が吉松駅を発車し、山神第二トンネル内で急勾配を上りきれずに機関車が立ち往生。苦しくなった軍人が列車からレールに降りたところに列車がバックしたために56名が死亡したものの慰霊碑だそうだ。この慰霊碑は山神第二トンネルの近くにもあった。


「いさぶろう」「しんぺい」は当時の矢岳トンネル工事の最高責任者、逓信大臣の山縣伊三郎、鉄道院総裁の後藤新平の名前から取った名前である。「いさぶろう」に乗車し、先ほどの大畑駅が見えるところを探そうと目を凝らしていると、列車が徐行し停車した。車内アナウンスで先ほどの大畑駅が見えることを告げていが、私の乗った車輛からは見ることが出来なかったが発車して直ぐに撮影した。


さらに30パーミルの勾配を登って行き、10:44分矢岳駅に到着。ここで5分停車し発車は10:49分である。この5分を利用して先ほどちらっと見たD51170号機を見にいく。保存状態はとてもいい。
170号機は肥薩線のお別れ列車を牽引した機関車で集煙装置と重油タンクを備えた重装備の機関車である。


D51170号機


矢岳駅「いさぶろう1号」


矢岳駅を過ぎると間もなく沿線で一番長い矢岳第1トンネルに入る。このトンネルが分水嶺となる。このトンネルの人吉側に山縣伊三郎の「天険若夷」。吉松側に後藤新平の「引重到遠」の石額が埋め込まれている。私が列車の一番前まで行くと運転手の計らいで列車をトンネルの入り口で一時停止してくれた。
山縣伊三郎の「天険若夷」の石額。入り口も趣が有る。


吉松側は先ほどの列車で撮影しておいた。矢岳トンネルを越えると今度は下り勾配になる。列車は日本一の車窓風景の所でも停車してくれるが、先ほど私が撮影したときよりもガスってしまった感じである。




25パーミルを下ること11分で真幸駅が見えてきた。列車は大きく左にカーブし一端スイッチバックに入り、折り返して駅に進入する。真幸駅でも4分の停車である。乗客はここでも下車し幸せの鐘をならす。この鐘は、「ちょっと幸せの方は1回、もっと幸せを願う方は2回。いっぱい幸せの方は3回鳴らしてください」とある。多くの乗客は鳴らしていたが、照れがあるのか3回鳴らす人は少なかった・・・。


真幸駅に停車する「いさぶろう1号」



この観光列車には素敵な客室乗務員が乗務しており、沿線の案内や乗客の世話をしている。

キハ140を背景に客室乗務員さんを撮影させていただいた。



その6 嘉例川駅へ

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