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C57の全兄弟(C57の分類) |
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C54からはデフレクターが正式に採用され、給水温め器が前部デッキ上になった。C55ではサンドドームとスチームドームの一が入れ替わりドームの一体化が行われた。キャブも全面が斜めになり、テンダーと共に溶接組立となった。 C57はこのC55の最終型からの改造に当たり、C55とスタイルは近似している。大きく違う所は使用圧力を14Kgから16Kgに変更し、外観的には主動輪がスポーク動輪からボックス動輪となり、ドーム後方が流れる形になり、ボイラー前面の丸みなどである。
第1次形;1〜138号機。 C55第3次増備計画中、C5563,C5564の2両について更に改良を加えているうちに、新形式になったといわれている。従ってC55と共通点が多く、この第一次が貴婦人と呼ばれる分類に当たる。 この第一次はその従台車において2種類に分かれる。当初鋳鉄の台車枠を持つLT154Bであったが、満州事変などによる資材不足の関係でボルト組立のLT154Dになった。この車両は55〜72,87〜108とされるが、晩年はかなりの入れ替えにより不明である。 第2次形;139〜169号機。 国際情勢の悪化で工程の簡素化により、テンダー台車が軸バネ形板台枠台車となった。従台車も1次の後半のLT154Dが中心であるが、153号機からはLT157となっている。LT154DとLT157はさほど変化はないが、オイルキャップの変更、台枠の切り取り穴の違いである。 第3次形;170〜189号機。 終戦とともに輸送の中心が貨物から旅客になり、C57・C59の増備がなされ、その時に製造された形式である。外観は第2次と似ているが先輪がスポークからプレート車輪になり、それまでランボードの上にあった放熱管がランボードしたに配置された。またそれまでの砂撒管は第2動輪の前後にあったが、第3次では第一動輪の前、第2動輪の前と前進専用となった。 第4次形;190〜201号機。 第4次からはそれまでのC57のスタイルとは異なったものとなった。ボイラー内径が1458mmから1490mmと太くなり、デフの角は直角から斜めになり、キャブはドアー付きの密閉形に、動力逆転機も装備、テンダーは船底形で台車もローラーベアリング軸箱をもつLT244になった。全体の印象はC59の縮小版のような感じである。
【北海道地区】 北海道におけるC57の改造は大きく2つに分かれる。一つは昭和30年以前に導入されたグループで、釧路、小樽築港の15両は狩勝峠を越える根室本線に当てられていたので、600リットルタンクを付けた重油併燃装置が取り付けられた。その際蒸気ドームの後部の一部を切り取れられた。また耐寒装備として機関士暖房装置、防雪装置、タブ受取機、砂撒き管先端保温装置など。また密閉キャブ改造となった。密閉キャブは苗穂工場の場合、屋根を延長せずキャブ床、妻板を新製し扉を付けたもので第4次形と異なっている。そのためテンダーとの接触を防ぐためにテンダー前端を斜めに切り落としている。 後に岩見沢に配属されたC57は重油タンクは外されたが、ドームのキリトリはそのままになっているものもある。第2は35年以降に転入してきたもので耐寒装備のみで重油タンク、密閉キャブにはされていない。 【東北地区】 東北地区の改造は土崎工場が担当し、シールドビーム補助灯、旋回窓の設置、キャブ屋根延長などの改造を行っている。この改造は後期になって行われたもので前期、中期においては変形に近い物であった。 【新潟地区】 新潟のC57は、長野工場で施されたキャブ屋根延長が多い。これは日本海から吹き付ける寒風やトンネル内での煤煙から乗務員を守るため、カーテンでテンダーとキャブおよび屋根を覆い、密閉キャブと同じ効果をだしている。これらの他に新潟独自の改造として長工デフがある。4号機、130号機がこれにあたる。 【北陸地区】 北陸地方の改造は松任工場で行われ、左右の旋回窓、煙突とデフの間に半月状のステーが付けられている。このステーの目的は飯山線のC56と同じ事からツララ除けと思われるが、単なる補強という説もある。 【関東地区】 関東では大きな改造はないが、三河島事件の影響で、常磐線用のC57には列車無線の取り付けが義務付けられた。また晩年は回転火粉止め(クルクルパー)の設置、シールドビームが取り付けられた。 【名古屋地区】 関西本線牽引のC57には重油併燃装置が付けられた。名古屋機の特長として全機赤字のナンバープレートであった。 【梅小路】 特に大きな改造がされていないが、晩年北陸からの転入機は北陸使用のままであった。 【近畿地区(除く梅小路)】 この地区の改造は鷹取工場で、集煙装置、重油併燃装置が設置され、運転室整備、煙室前端改造がされた。集煙装置は、山陰本線、播但線、紀勢西線、関西本線に使用する機関車に装備で、6・7・11・26・56・78・87・119・147・160・190に当初付けられた。晩年は52・61・93・128にも付けられた。 また福知山所属機はトンネル内ツララによる事故防止のために運転室前のひさしを延長したものもある。10・11・41・85・87・93・128・152号機である。 【中国地区】 米子、浜田に終結されたC57は後藤工場で施された集煙装置付きである。また福知山区と同じひさし延長されたものが12・101・120にもつけられた。また旋回窓も装備された。 【九州地区】 九州地区の装備改造は、小倉工場のデフレクター(通称門デフ)である。次の改造は、砂撒き管の増設である。第1次、第2次は第2動輪の前後、第3次、第4次は第1,第2動輪の前という2本であったが、九州地区の物は空転防止の為に3本となっている。また九州配属の第4次C57は通風向上のためにキャブのドアーを撤去されている。
この装置は煙突から真上に噴出された煙および蒸気を左右いずれかの風下側に誘導排出させるもので、昭和25年から30年まで小倉工場の改造で付けられた。 煙の誘導排出の点で集煙装置と似ているが、形態はかなり奇異な姿であった。試験結果は構造の複雑さに板金技術が追いつけず失敗に終わった。試験期間中はデフは外されて運転された。下図は概略図。 【C5736】デフ増設 昭和27年から31年まで大宮工場の改造で付けられた。従来のデフに加えて煙突の両側に2枚づつ(煙突の脇に2枚、少し後方に2枚)小さなデフを取り付け合計6枚のデフとなった。煙突側は煙の誘導向上を狙ったが、その効果はさほど大きくなかったのでのちに取られた。これに似た形態は東北地区のC60・C61にみられる。 【C5777】宇佐見式可変リード弁装置 従来の弁装置(ワルシャート弁装置)では高速時において若干のリード不足になり熱効率が低下となる傾向があった。昭和26年頃は列車の高速化の傾向があり、ワルシャート式の弁装置の短所を改称するため井宇佐見吉雄氏が考案した新しい弁装置が昭和26年にD5019に、続いて29年にC5777に試験的に取り付けられた。使用結果は良好で可変リードの効果は充分認められ好評であった。しかし、構造が複雑なために逆転機の操作が重く微調整が困難であったし、検修にも不慣れなために調整が大変であった。同時に幹線電化、蒸気機関車の衰退で復旧することはなかった。77号機も昭和36年8月に標準の弁装置に変更された。 【C57142】着脱式密閉キャブ 北海道のC57は密閉キャブが多いが、密閉キャブは従来より添乗員の多いときは狭く運転しづらいという欠点があった。それを補うために密閉部分の一部(ウエザーボード)を取り外し空間を確保する方法がとられ、昭和36年8月に苗穂工場で改造された。 【C57126】宮廷列車専用機 尾久区に所属された126号機は、宮廷専用機で他機との違いは、給水温め器が無いこと。給水ポンプの無いこと(騒音防止)。複式コンプレッサーを2基にし1基は予備。弾丸式前照灯。前部デッキの手すり。テンダー後部中央にハシゴがある。などであった。 テンダー相互交換 2次形のテンダーを3次形に付けられているもので、120・121が3次形のテンダーを、145・148が2次形のテンダーを付けているが、どのテンダーがどの機関車のものであったかは不明。 |
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